今週もこの時間
日曜日の夜でございます。一週間の始まる直前。
スポーツ競技で言うところの一番選手同士がピリピリする時です。
でも、そう考えるとちょっとだけ楽しくなる気がします。
今この瞬間、日本の選手(学生とか会社員とか)たちが一斉にスタート台に立っているわけです。
スタート直前の緊張に耐えかねてトイレに駆け込む人もいれば、ギリギリまでリラックスしている人も、早くスタートしろと意気込んでいる人もいる。
こう考えるとスタート時くらいは士気を高めておきたいなと思えます。
【今日考えていたこと】
人工知能が奪うもの
人工知能によって職が奪われるのではないかという話よく耳にしますよね。
今回僕が考えたのは、どんな職業が奪われて、どんな職業なら奪われないのかといった話をちょっとだけ違う視点からみてみたお話で、『ありがとう』という言葉が奪われるのではないかということ。
技術進歩により、人間は多くの恩恵を受けてきました。
今の時代、人との情報のやり取りはメッセージアプリで行われることが多くなってきました。
その前はメール。その前は電話。その前は手紙。その前は...飛脚…?
まぁ仮にそうだとします。
これを見ると電話以降になると情報のやり取りの間で動いてくれている人が見えづらく、感謝対象が分からなくなり、『ありがとう』という言葉を言わなくなる。そう思うんです。
目の前まで手紙を運んできてくれる飛脚がいたらきっと『ありがとう』と声をかけると思います。
たまたまポストに手紙を届けに来てくれた郵便配達員を見かけても『ありがとう』という言葉をかけるような気がします。
しかし、電話をしている時、あるいはその後、電話通信会社で働いている人に対して『ありがとう』みたいな気持ちってわかないような気がするんです。おそらく、感謝という気持ちすら生まれず、無意識で、“あたりまえ”という感覚でいるのだと思います。
っとまぁ今まで人が行ってきたことがテクノロジーによって置き換わることはいつの時代も起きていたことだと思うのですが、その都度『ありがとう』という言葉を使う機会が減っているような気がします。
当然今後人工知能によって今まで人がやっていたあらゆるものが置き換わっていきます。
僕個人、それ自体にはさほど抵抗はないのですが、気を付けないと『ありがとう』という言葉を忘れてしまうような気がします。
僕はなんとなくそれが寂しい。
そうならないためにもテクノロジーに恩恵を受けていることを“あたりまえ”と思わない。
ちょっと言いすぎですね。時々、テクノロジーに恩恵を受けていることを思い出し、そのテクノロジーを生み出した人、それを運用するために働いている人なんかに『ありがとう』という気持ちを忘れずに生きていきたいなと思います。
おわり
では、また明日。