ひと山超えて気付いたこと
時間に追い詰められながらあれこれやっていましたが、今日の午前中にある程度落ち着き、自由な時間がやってきました。
さて、これから何しようかなと考えていると、本当に不思議なもんで、やることを探しているんですよね。なんか手持ち無沙汰な感じが嫌で次にやることを無意識に求めていました。
人間、最も苦しいのは暇なコトなのかもしれないなぁなんて思いました。
【今日考えていたこと】
ねじれ状態が最も安定する
人間関係の中でお互いが反対のことを望み合うような状態を僕は“ねじれ”と呼んでいます。
分かりやすく例えると、電車の遅延により予定に遅刻してしまうAさんと、Aさんを待つBさんがいます。
A『すいません、電車の遅延で予定時間に着けません。なるべく早く着けるよう急ぎます。』
B『了解しました。焦らず気を付けていらしてください。』
っといった会話が展開されます。
ここでまず、本音と建て前を無視して発言だけから2人の会話を整理すると、AさんはBさんの元へ一刻も早く着けるよう努力する旨を伝えており、それに対しBさんはAさんに無理せず気を付けて来てもらって大丈夫ですよと返しています。
お互いにお互いを思いやった結果反対のものを要求している状況にあります。
さて、ここからが大きく問題になってくるところなのですが、先ほど僕は“本音と建て前を無視して”と言いましたが、これ、お互いに本心ではない場合が多くあります。AさんはBさんに誠意を見せるためのワードチョイスをしたまでで、実際は走ってその場まで来ているかはわかりません。逆にBさんもAさんに対して優しい言葉を返しているものの、本心では舌打ちをしているかもしれません。
このコミュニケーションには2つのねじれがありました。
1.自分と相手の要求のねじれ
2.発言内容と本音のねじれ
このねじれは日常ではごく当たり前に発生しますが、これってなかなか2人は仲良くなれないなぁと僕は思ってしまいます。
気の置けない仲であればもっと違ったコミュニケーションになっていたのではないかと思うわけです。
矛盾、本音と建て前、ねじれ...。
コミュニケーションには色々と複雑なものが多いですね...。
だからこそ面白味があるのかもしれませんが。
今日はこんなところで。
では、また明日。